自分本位。

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疑問:子供の頃にあったあの感覚について

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※注意:多少の下ネタを含みます。

 

先日子供が幼稚園に入園した。そこでふと思い出したことがあった。ある感覚についてだ。今も大して変わらないのだが、私は小さい頃たいそう気が小さい子供であった。

周りの他の子たちが難なくできるようなこともうまくできず、かなり焦る。なにかやるにしても遅く、一人取り残されてとにかく焦る。他の子が食べられているものが、まずくて食べられず自分だけ残して焦る。休み時間が終わった後、次の教室の場所が分からず誰もいなくて死ぬほど焦る。幼稚園時代はとにかく焦ることばかりであった。

子供の頃は人生経験がないため、何かが出来ないとなるとそれがまるで人生の終わりであるかのような感覚であった。まさに死んだも同然である。そんなときパニックになり頭が真っ白になって極度の危機感・焦り襲われる。と同時になぜか股間に快感を覚えることがよくあった。焦って危機を感じた時、特に股間にふわぁ~っとした快感を覚えるのである。この感覚はなんだったのだろうと、今でもたまに考える。

正直、あの感覚は嫌いではなかった。焦りたくはなかったがあの感覚は心地よかった。焦ってい危うい状況に置かれているというのに。それまで味わったことがなくなんともいえない感覚でむしろ好きだった記憶がある。

あれは一体なんだったのだろうと未だに疑問に思う。一番有力だと考えるものは、生命の危機を子供ながらに感じ、子孫を残そうとして生理的な反応が起こるという説だ。
もしくはあり得ないがそういった状況を快感に感じてしまうというドM体質だという説。あとは焦って動揺している状態を少しでも落ち着かせるため、股間に快感を生じさせるという説。この3つくらいだろう。師匠であるグーグル先生に訊ねてみたところ、同様の経験をしている人がいた。

これは簡単に言うと遺精の一種ということになるのだろう。正式名称までは見つからなかったものの、もしかすると生物的にはごくあたりまえの現象なのかもしれない。

遺精とは - コトバンク

生まれてから30年も経てばある程度の事は経験する。この年になると経験からある程度対処法ややり過ごし方等を身に付けなかなか命の危険を感じることはない。津波に襲われるとか、エイリアンが襲来する、銀行強盗に遭遇する、乗った飛行機が墜落する等といった極端な事に遭遇すればまたあの感覚を味わえるかもしれない。しかしその時は死を覚悟しなければならないだろう。

あの感覚は快感であるが一種の危険サインだ。あれがあることによって身の危険を感じ、一刻も早く物事に対処しなければならないと理解することができる。そうして一つ一つのことを学び、成長していくことができるのかもしれない。子供の頃から焦りの気持ちが頻繁にあり、付き合ってきたからこそ今こうして生きていられるのかもしれない。気分が良いものではないが焦りという気持ちは成長過程では必要不可欠なのかもしれない。