自分本位。

株とモノ批評、時々小話。なんでもことばに。

3月26日 青木真也の負けを背負って今日も私は生きる。

3月26日 青木が負けた。あの秋山に負けてしまった。

2006年大晦日K-1ダイナマイトにて、桜庭和志との試合で体にクリームを塗りまくりヌルヌルさせて失格になったあの秋山に負けてしまった。

<速報>秋山は反則行為で失格! - 毎日更新!日刊 安頓写真ブログ

長年、青木は秋山との試合を切望し続け、ついに叶った因縁の試合で衝撃のTKO負けであった。勝つと信じていたものがあっけなく敗れてしまった。

3日程経った今でもこの現実を受け入れられないでいる。辛すぎる。未だに絶望感と大きなショックに苛まれている。自分が試合に出たわけでもないのにトラウマ状態だ。まるで自分の事のようだ。

思えばこれほどショックだったものはなかった。
例えば日韓ワールドカップで応援していたポルトガルやイタリアが韓国に納得のいかない形で負けた時、村田諒太がミドル級王座決定戦でエンダムに疑惑の判定で負けた時、ロシアワールドカップでサッカー日本代表がベルギーに逆転負けを喫した時。

これまでスポーツの試合で衝撃的なシーンは何度となくあった。しかしここまで気持ちが落ち込んで忘れられずにいる試合はこれが初めてだった。ここまで気持ちを入れて観た試合はこれまでなかなかない。これが別の相手であったらここまでの思いはなかっただろう。思いがこもった負けられない一戦であったのだ。


記憶で試合を振り返る

未だリプレイを見る勇気が出ないので記憶の中だけで試合を振り返る。

まず最初に懸念していたのは計量時点で既にあった体重差とパワーの差だ。水抜きなしといえども秋山は体重を試合までにある程度戻すことで減量が必要ない青木と大きく差が開く。打撃面での青木はかなり不利になるだろうと不安があった。

 

過去の試合で負け方をイメージする。王座陥落した時のクリスチャン・リー戦、もしくは1回目のエドゥアルド・フォラヤン戦だ。1発でももらってしまえばかなり厳しいだろうと想像はしていた。もともと打撃の耐性は決して高いとはいえず、過去の試合から見ても一度でもヒットしてしまえばリカバリーは難しいだろうと想像した。

 

対して勝ち方のイメージはジェームスナカシマ戦や江藤公洋戦。
秋山同様、ウェルター級から階級を下げて挑戦してきたジェームスナカシマには攻撃をほとんどさせずネッククランクで極めて1ラウンドTKO勝ちした。これがまさに理想の勝ち方だった。他に想像したのは3ラウンド青木が寝技でひたすら漬けて秋山になにもさせずに判定勝ちの流れだ。

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実際試合になると青木にとって1ラウンドの入りは上々。青木が支配していた。
フェイスロック気味のバックチョークをかけ続け1ラウンドで青木の勝ちと思われた。まさにジェームスナカシマとの試合の再現とも感じられる完璧な展開であった。しかし秋山はタップせず1ラウンド終了。

格闘技をやっていない素人の私からみるとまだ青木のスタミナは十分だろうと勝手に解釈していた。しかし全く違った。2ラウンド目で体力の消耗が激しく感じられ動きが重く見えた。対して秋山の動きに変化は感じられなかった。序盤から秋山のジャブが悉く、かつ鋭くヒット。ここで完全に流れが変わった。その後の秋山のプレッシャー、パンチ連打を凌ぐことができず身動きか取れなくなってしまった。

結果パウンドでTKO負け。体重・パワーの差が大きかったのではないかと感じられる試合結果であった。


思い

もしあの時、数発ヒットさせられた後何度もタックルにいかずに、ガードポジションになっていたら時間稼ぎができなかっただろうか?グラウンドから足を使って応戦していれば回復の時間が作れたのではなかっただろうか?

と素人ながら思うところはあった。とにかく悔やまれる一戦であり、やり場のない思いだ。全く受け入れることができない。

しかし前向きに考えると致命的な怪我を負ったわけではない。選手生命が絶たれたわけではない。引退を示唆したようだがまだ引退する時ではないということ。青木はまだやれると信じている。

そして格闘技で重要なのは単純な勝ち負けだけではない。ストーリーも重要だ。今回青木は負けた。今後を大きく左右する分岐点であったことは間違いないだろう。しかし青木真也のストーリーの中のたった1ページに過ぎない。

バットマンやアベンジャーズだって一度は負ける。ヴィランに打ちのめされる。けれども立ち上がり困難に立ち向かう。私がこれから彼に期待するのは打ちのめされても再び立ち上がり挑戦し復活する姿なのだ。これからも青木のストーリーは続く。

この試合を通して改めて気付いた事は私は青木真也選手の一ファンであるということだ。今回の試合は自分の中でも大きなものであった。勝ちも負けも全て呑み込む。彼が表現する格闘技、ストーリー、闘う姿に勇気づけられ今日も一日生きる。これからも私は彼を応援し続ける。