自分本位。

株とモノ批評、時々小話。なんでもことばに。

同僚「クラッシャー板前」が会社をクビになった話

自由になろうとし、ものの見方をより自在にし、自分の能力と個性を最大限に用いようとすることは、多くの利点を生むことになる。

まず彼は意識せずとも、自分の欠点を拡大したり、悪いことを行うことがなくなる。というのも、ものの見方が自由にして自在であるため、それらは邪魔だからだ。

同じように、自分を自由にすることを妨害する怒りとか嫌悪の感情も、自然に必要じゃなくなる。

本当に自由な人がスマートですっきりした印象を与えるのは、実際に彼の精神と心のあり方が、こういうふうにスマートになっているからなのだ。

『善悪の彼岸』 ニーチェより

 

以前記事を投稿したが会社の同僚、通称「クラッシャー板前氏」が会社を辞めることになった。正しくは「クビ」だ。

詳しい記述は省かせていただくが、取引する業者の人間に対して(ほぼ)暴行をしたとのこと。幸い被害者に怪我はなかったようだが社会的に考えて即一発レッドカード(クビ)案件である。怪我はなかったというものの、目には見えない精神的な苦痛を味わったことだろう。怪我を負ったかどうかは問題ではなく、手を出したら終わりだ。

彼はこれまでにも法に抵触するかギリギリのきわどい余罪や蛮行が数多くあり、ギリギリでいつも生きてきていた。若手社員への教育という名のほぼパワハラ、ストレス解消という名のほぼ器物損壊等といったほぼ違法行為のオンパレードでまさに綱渡り状態であった。そんな中で今回、箍が外れてしまいコントロールできずに手が出てしまったようだ。

彼自身だけでなく、彼に対して寛大な処置ばかりしてきた会社にもようやくツケが回ってきたということになる。これまでイエローカードを何枚も出されていたが決定的なものはなかったため野放しにされていた。悪い腫瘍はさっさと取り除くべきだっただろうに。部外者に危害を与えてしまったことで会社は信用を貶めることになってしまった。問題が発生する前に未然に防げた事態だったと改めて思う。
事件があってからでは手遅れなのである。

彼の勤続は20年前後。私にとっては先輩にあたる。年齢としては40前後。アラフォーにもなって感情のコントロールがままならずに暴力問題を起こして退場というのはなんとも情けなく哀れだ。今回の事件に関して事の発端や経緯は分からない。相手に何らかのミスがあったのかもしれない。しかしながら怒りに任せ暴力をふるってしまったら何があろうともそこで終了。一発退場だ。しかも社外の人間が相手となれば絶対にクビである。クビにしなければ相手の会社も納得がいかないだろう。というより裁判沙汰であり、クビにしてなんとか裁判を避けられるかどうかといった問題にまで及んでくるはずだ。これが社内の人間であればワンチャン左遷で助かっていたかもしれないが。

会社に勤めて約20年。彼は会社の癌として定年までずっと居続けるのだろうと思っていた。彼が年長者になるにつれて発言力が増し、将来やりたい放題の状況に陥るだろうと私は恐れ、不安を抱えていた。だがここで私のストレスの一因であった彼の存在がなくなることが決定的になった。溜飲が下がる思いとはまさにこのこと。私だけでなく他の同僚たちもほっと胸をなでおろす気持ちだろう(決して表には出せないが)

私自身、このことをただの他人事として思わずに半面教師として活かしていかなければならないと思った。最近ストレス・イライラが溜まる事がよくあったため、感情のコントロールができなかった実例(末路)として心に留めておかなければならないと強く感じた出来事であった。

 

追記

夕べ、夢で彼が出てきた。反省の意を込めたのか丸刈り頭にして、クビにされたにもかかわらずいつも通り会社に出社して仕事をしていた。周りの同僚たちは困惑していたものの、平静を装いながらいつも通り仕事に打ち込んでいた。私はあまりに理解できない状況だったため、「おいおい、お前クビだろ!!」と人で叫んでしまった。そんな不快な夢を見て目が覚めた。