自分本位。

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気になって仕方がないくだらないこと:タレ

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グルメ番組を見ると毎回かといっていいくらいに出てくるフレーズが気になって仕方がない。

「親子〇代にわたって受け継がれてきた秘伝のタレ」、「先祖代々継ぎ足してきた秘伝のタレ」、「50年以上の熟成したタレ」等のような歴史あるタレを紹介するフレーズだ。異常ともいえるタレの強調。タレを飲むのならわかるがあくまでも食材の味付けするためのものであるにもかかわらずだ。他に特徴がない店もとりあえずタレを強調しとけばいいやという製作者の手抜きにも見えてくる。

これは特にうなぎの店や焼き鳥屋が紹介されたときに使われることが多い印象。
タレを使う飲食店は秘伝のタレばかり気にして料理を作っているのだろうか。
繁盛する為にはまさに長年かけて作り込んだタレが必須だと言わんばかりだ。長年漬けてきた食材のエキスやダシなどの旨味成分が多少入るからなのかもしれない。
盆栽のようだが、こんな事は全く気にしないで普段たべている。

簡単に考えると長年かけたタレがあれば高確率で繁盛する。長年のタレがなければ店は売れない、あるいは旨くない。
食材よりもタレが命だということなのだろうか。

あまりにもタレばかりを宣伝する店が増えたおかげでタレなんかなんでもいいやと思えてくるのである。むしろ大事なのは食材の質の方だと思うが、旨い長年のタレさえ作ればどんな質の悪い食材でもカバーできるということにも成り得る。
自分は飲食の経験はないのだが、食材よりもタレにこだわった方がもしかしたら利益率が高くコスパがいいのかもしれない。

ひょっとすると限定商法のように消費者の心理を利用した「継ぎ足しタレ商法」のようなものなのかもしれない。しかしこのタレを強調されてしまうと毎回考えてしまうのは不潔そうだというイメージである。
決して潔癖症ではないのだが、なんか汚いなというイメージが先行してしまう。
発酵食品はたくさんあるのでそれと近いものなのかもしれないが、タレとそれらは別モノ。確認しようがないのだが、自分の中で汚いという考えを捨てることができない。

前もって再度お伝えするが自分は断じて潔癖症ではない。
しかし気になって仕方がないため、一度この長年かけて作られるタレについて持論と疑問を提起する。

事前情報

あらかじめ検証した資料がないか調べた。
既にテレビ番組で検証されていたようである。
これを読むととりあえず衛生面での問題はなさそうである。
この情報を踏まえたうえで、再度考えてみる。


ツボは洗っているのか?その中は?

あの茶色い陶器製の壺だ。
壺の横には間違って黒い塗料をこぼしちゃいましたという感じの模様みたいなものがあるやつがだいたい使われている。

 こういうやつ。

 

長年継ぎ足して使っている場合、あれは洗っていないと言っているようなものだ。
おまけにほとんど見るのは外側が油分や炭などで真っ黒くなった状態になっている。

使わないときに蓋はするだろうが、使っている間に多かれ少なかれ塵や微粒子などが入り込む。
また、刷毛で塗る方法ではなく、直接ドブ漬けして焼く方法だと食材のわずかな肉片などが落ちる。さらには夏場の暑い時期にはハエや蚊などの虫も入り込む可能性がある。

長年洗わず使い続けることにより、そういった塵芥の類が壺の底に沈殿し海底魚のように長年過ごしているのではないかということだ。
これらは常に下に沈殿しているだけならいい。
しかしながらタレを継ぎ足した時や食材をタレにつける際にかき回すようなことがあった場合は沈殿されていた異物が拡散してしまう。
その際のことをイメージしてしまうともう気が気じゃない。焼けば消毒できるとか、そういう問題ではない。

年季が入った壺にはそれまでの店主達の思い出やレガシーが詰まっているのかもしれない。
それは私のような素人には到底理解できないことだ。しかし料理に使う器などは是非とも綺麗に手入れをしてもらいたいものである。

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初代のタレの成分はほとんど残ってないのでは?

上記に挙げたテレビの記事に書かれているが、継ぎ足したら古いタレは薄まる。
大抵の店は先祖代々継ぎ足して歴史の長さをアピールしたいようだが、
もはや初代のタレ成分はなくなり自分の代のタレだけになってしまっているのではないかということだ。


サイクルとしては

タレを作る(一番最初)

タレが減る

継ぎ足す(1回目)

新しいタレと古いタレが混ざる

平均化されてタレが若干新しくなる。
(初代のタレが薄まる)

タレが減る

継ぎ足す

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以降無限ループだ。

これを何度も繰り返すことで先代の作ったタレ成分は限りなくゼロに近づく。
木の年輪のように積み重なるものではない。またワインのように熟成されていくものでもない。むしろその逆だ。
商売繁盛している人気店であればタレをたくさん消費するため、減れば何度も何度も継ぎ足す。
こうなれば何代もやっているような店の場合、下手すると先代の作ったタレの成分含有量はppmレベルの可能性があるということだ。限りなく先代のタレ成分はゼロに近い。
何も考えないで他の店が言っているからという理由で安易にカッコつけて「継ぎ足している」と言っているのかもしれない。だがこれは大きな間違いの可能性が高い。
ウイスキーやワインのように昔の人たちが作ったタレを樽などに大量に保存しているのであれば堂々と言えるだろう。
だがそんな店は未だかつて見たことないのでおそらくそんな店はないだろう。

歴史のある店というのをアピールする場合は有効かもしれない。長くやっている=昔から定評がある店だとプラスの誤解を生みやすいからだ。
しかし昔のタレの成分が含まれているということをアピールする場合はこれは客に誤解を招く可能性がある。
だからあまり過去の歴史や先代の築いた栄光にすがらずに、自分の代(のタレ)が一番だと堂々と胸を張って言ってもらいたいものだ。

 

単に楽をしたいだけだったのではないか?

毎回開店前の仕込みで壺をきれいに洗い、その都度タレをつくるとなると面倒だ。
いちいち調味料を調合して作るよりも作りおきしておいた方が楽に決まっている。
余ったら毎回捨てるのも勿体ない。なので一旦まとめて作っておき、足りなくなったら継ぎ足す。
こうした方が手間を減らせる。

勝手な想像にすぎないが、昔の人たちはタレ作りがただ面倒で楽をしたかっただけで、たまたまそのやり方が勝手に受け継がれて浸透していっただけかもしれないということだ。
だが何を勘違いしたのか、ここ最近になって「先祖代々継ぎ足し」といったカッコつけたワードで強調することで人気が出るのに気が付き何も考えずに使っているだけの可能性もある。

昔の人たちは自分のタレを後世に受け継いで継ぎ足して使って欲しいとか、売れるから継ぎ足して作るとかそんなことは全く考えておらず、
ただ面倒だから楽をするために手間を省きたいという気持ちでやっていただけのことなのかもしれない。


成分の問題だけではなく食べる側の気持ちの問題もある

タレに含まれる塩分や糖分が濃いため雑菌が湧きにくいため安全だというのは分かった。
だが問題なのは安全といえども汚そうだという先入観はなかなか取り払うことはできない。
継ぎ足し=汚い壺とそのなかにたくさんのゴミが入っている といったイメージがつきまとってしまうからだ。

タレには思う存分こだわってもいい。継ぎ足したいだけ継ぎ足せばいい。
壺も洗いたくなければ全く洗わなくてもいい。
個人的なお願いは継ぎ足しといった言葉を出さずにひっそりと目立たずやってほしいということだ。知らなければいいということ。
そういうのはお願いだから知らせないで欲しい。

あとできれば壺も定期的に洗ってほしい。壺に昔から住んでいる常在菌が旨味を引き出すとかそんなのはどうでもいい。
ほとんどの客は壺を洗おうが洗わまいが味の違いはほとんどわからない。格付け番組で金持ちが当たり前のように問題を外すくらいなのでそれほど神経質にならないでほしい。
壺を洗ったか洗ってないか気にする客がもしいたら嘘でも洗っていないと言うべきだ。
食材とか、店のインテリアとか、他と違ったメニューとか、他のことをもっとアピールすべきであり、もはや継ぎ足したタレのアピールは必要ない。


長年継ぎ足しておけばいいという問題ではない。

多くの店で継ぎ足しのタレが強調されすぎて自分の中ではタレへの関心度もレアリティも薄れているのである。
タレは長年かけようがかけまいがうまいタレは旨いのである。現にステーキ宮のタレは長年継ぎ足したわけでもないのに群を抜いた旨さだ。
長年かけて試行錯誤して作り上げたという苦労とノウハウの方を重視するべきだと思う。

自分の中での正解はこうだ
・長年継ぎ足してきた≠旨い
・長年試行錯誤して完成させた≒旨い 

である。

 

先代達のやり方をただ真似て継ぎ足せばいいというものではない。
「創業当時の味を今まで守りつづけてきたタレ」というような謳い文句をするところもあるが、それが必ずしも正解とは限らない。
これについても言えることだが、創業当時の味≠旨い(現代の人の味覚に合う)である。
当時は味が薄すぎたかもしれないし濃すぎたかもしれない。

ただ継ぎ足して同じ味にしておけば簡単に売れるみたいな手抜き感があるのはもちろんのこと、
今その代を務めている店の創意工夫が感じられないということだ。
タレを売りにした店にするのであれば研鑽を怠らず、更に旨くするためにそのタレへ磨きをかける努力をすべきだということである。
だから初代の味をただはいはいと受け継いで、継ぎ足すだけではなく旨いと本気で思えるものを出したほうが堂々とタレに自信を持てるはずだ。

[みんなにとってタレが一番とは限らない。]
タレに自信を持ってとにかくタレ作りにこだわりまくっている店もあるかもしれない。
だが、忘れないでほしいのは味は他にもあるということだ。
衛生的な心配がほとんどない、シンプルに塩という選択肢もある。
こだわってつくられた塩やどこかの地方の珍しい岩塩などをつかうことで簡単に付加価値を高めるやり方もあるということだ。


最後に

ただのタレについてこんなに長々と書き記してしまった。
正直な話自分自身タレはあまり食べない。塩派だからだ。
うなぎは選べないが、焼き鳥は塩。お好み焼きも塩。たこ焼きも塩だ。ほとんど塩。

一言で述べるとタレなんてうまけりゃいいから壺はちゃんと洗ってくれということである。
そしてタレは味の決め手となるが、メインの食材ではないということ。調味料である。
継ぎ足しすることや歴史を追求しすぎると見失いがちだが、人によっては塩の方が好みだという場合もある。
なので余計なことにこだわりすぎずにシンプルに清潔で旨いものを作る。それだけでいいということ。